端午の節句が近付く頃、突然母から電話がありました。父はデイケア施設に通っており、母がその送り迎えをしていますが、その日、帰る時間になっても父が見つかりませんでした。施設の人に聞いたら、母が迎えに来る前に一人で施設を出たという。では一人でバスで家に戻ったのかと思い、家まで帰ったが見つからない。2時間探しても見つからなくて、日も暮れかけたために警察に連絡して、町内放送をかけてもらうことになりました。その放送を聞いたガソリンスタンドから連絡があって、無事に父が見つかったのでした。 父は、歩いて家に帰ろうとして2時間ほど歩き続けていたそうです。父は足を悪くしており、何かにつかまりながらゆっくりと歩くのです。どうやら父は母が迎えに来ることを覚えておらず、帰る方角を失ってしまったのでしょう。何を考えて歩き続けたか想像がつきませんが、家に帰るために自分の記憶を探し続けた父に思いを馳せると、胸が締め付けられました。 私が実家を訪れると、父は嬉しそうに旅行に行った時の写真を見せてくれます。そして、その時の事を話してくれます。といっても、それはたいがい一緒にどこかに行った時の写真を私がプリントして贈ったものです。写真に写し出された以上のことを聞いても、「さあ、どうだったかね」と覚えていない事が多いようで、どうやら記憶の薄らいだ父の中にあるのは、プリントした写真から思い出される記憶のかけらなのかもしれません。 美しいものを見た時や非日常を感じた時に、私たちは写真を撮ろうとします。写真は、心を動かされた記憶の一瞬を切り取った人生の記録です。ですが、記憶はその人自身が歩んできた人生そのものと言えます。インスタ映えする写真も人生の記録です。それをまとめたものは確かにその人を表すに近いものかもしれませんが、写真は撮っていなくとも、あの時の眩いばかりの夕日の色や、流した涙、人生を彩る記憶は、その人の人生そのものだと感じます。心の中でシャッターを押すということは、自分自身の人生に意味があるのだということを実感する事なのです。だからこそ父が歩んできた人生の記憶の断片を、息子として少しでもつなぎ合わせてあげたいと思いました。【朝倉巨瑞】
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