巨星落つ
共同貿易・金井会長の訃報を聞いたのは、松山で幾つかの遍路寺を友人の案内で回っている時だった。金井氏とは1994年以来、在外投票実現運動のリーダーとしてお世話になった。首相や議員への陳情、記者会見などでは私たちを前面に押し出し、働かせてくれた。最高裁で勝訴し、在外投票が実現するまで、金井氏の信念と情熱の強さ、誰にも謙虚で真しに接する態度、その大きな人柄に魅せられた。地元の数々のイベントで支援を受け、人生哲学をお聞きするうちに、17歳もの年の差にも関わらず、いつしか心が通い合い、帰国後も日本へ出張のたびに電話があり、食事を共にさせてもらった。 5月20日の葬儀は、三百数十のお花が並び、日本、台湾、ニュージーランド、メキシコ、カナダなどからの会葬者もあり、会場は800人近くの参列者で溢れた。これだけの大規模な葬儀はロサンゼルス日系社会で近年まれだという。金井氏の偉大な功績はよく知られているが、「日本食や寿司は、世界の人々に健康と幸せをもたらす」との信念を持ってその普及に努め、数々の卓越なアイデアと情熱で努力を続け、遂に日本食を文化の域にまで高めた。その努力は2013年12月にユネスコ無形文化遺産登録となって報いられた。 「日系社会にはお世話になったからねえ」和田勇氏、ジョージ荒谷氏、金井紀年氏など、ロサンゼルスの日系社会の主要なリーダーたちが口にした言葉である。偉大なリーダーたちの退場は悲しい。しかし寿命があるから人間は進化する。時代は常に刻々と動き、それに対応する新しい発想が求められ、限りある命が次世代の活躍を促すともいえる。金井氏の死を乗り越えて、日系社会にも会社にも新しい芽が芽吹いているに違いない。 少年のように瞳を輝かせて夢を語り、温かく沁み入るような笑顔を見せた金井さん、あなたはその信念と情熱で人々を導き、素晴らしい生き様を示してくれました。多くの人々があなたを見習い後に続くでしょう。私も残りの人生をそのように生きたいと思います。巨星落つ、94年の素晴らしいご生涯、ありがとうございました。【若尾龍彦】
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