納豆談義
最近、会話の中で「死ぬ前に何を食べたいと思うか」という話題になった。「納豆卵かけごはんでしょう!」と一人がいうと、他の一人も「やっぱりそれしかないでしょう!」と同調した。しかも納豆は、ひきわりがいいとか、大粒がいいとか。なんか貧弱で、最期にふさわしいのかな? と声をそろえて笑った。 高級フレンチレストランのなんとか、何とかの珍味より、納豆に行きつくだろうと一致した。フレンチもイタリアンも中華も、そこそこのものはどこでも食べられる。日系マーケットがあるところでは、納豆は手に入るが、そうでなければ、納豆は食べられないし、卵かけご飯も生の卵を食べるのは心配、と食べていない人たちが多いと思う。 日本に住んでいたときは、ごく当たり前の食べ物が、ここでは当たり前でないことが、たびたびある。 先日、ラスベガスに住んでいるというご婦人と話したとき、彼女は納豆と豆腐をたくさん手にしていた。ラスベガスでは納豆が手に入らないので、ロサンゼルスに来た時に買っていくのだという。豆腐はあっても高いので、豆腐も買っていくと。子供のころ、日本で食べた納豆はつと(藁を束ねて包んだもの)に入っていたと、しばらく忘れていた言葉を聞いた。それから、長靴に藁を入れて履いたの覚えてる? と言うので、郷里はどこかと尋ねた。岩手県に近い青森県という。そうしていたと聞いたことがあったので、何となく懐かしいような気分になった。 納豆は、匂いがあってねばねばしているので、好きな人と嫌いな人にはっきり分かれる。それを好きだという人ばかりの話が寄ってきたこと自体、不思議といえる。健康にいいとアメリカ人にも食べられるようになったというのも、驚きである。最近は、匂いのない納豆もあるが、それはちょっといただけない。 子供のころから食べ慣れ、記憶に残る味を最後に欲するようになるのだろう。しかも、手に入らないと余計に欲しくなる。自分で納豆を作って食べた、という話も中西部に住んでいた人から聞いたことがある。 納豆好きがたまたま集まったが、命を保つ食べもの、その中で何が残るのかおもしろい。【大石克子】
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