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Writer's pictureRafu Shimpo

舞台美術

 派手なデザインでない限り気に留められることが少ない舞台装置。戯曲を読み役者の動きを考え、組み立て・解体が出来やすいデザインを考えるのが舞台美術家の仕事だ。ミュージカルや舞踊、アカデミー賞のセットデザインも舞台美術家が携わる。  大学時代演劇学科で舞台美術を専攻した。演劇や歌舞伎の歴史なども学ぶが、専攻コースのクラスではセットのデザインを写実的に描く。デッサンや水彩画の技法、日曜大工程度に木工作業なども学ぶ。  日本の演劇界には大きく分けて歌舞伎と新劇の2つの流れがあり、教授もその両界で活躍されていた方が指導にあたっていた。通常舞台セット・デザインはどちらの場合も水彩で描き、正面から見て描いた絵をエレベーション、真上から見たものは線画で描いて平面図と呼んでいた。日本の劇場は少なくとも当時まで、尺貫法で建てられていたため、舞台装置も尺貫法を使っていたので、特定の店から尺貫法の定規を購入した。また通常舞台で作業をする際は地下足袋、雪駄の着用が要求された。半世紀ほど前の状況を書いているが、当時仕事で尺貫法を使っていたのは演劇の世界だけだったように思う。  教室以外では日本舞踊の発表会など、舞台裏での手伝いの声がかかり、実地で取得していく。あるとき隼町にある国立劇場で人形浄瑠璃のお手伝いをさせてもらったことがあった。担当したのは舞台に出て行く人形と、それを操る人形遣いのための障子の開閉、転換の際の装置の除却や設置など大道具の手伝いだった。  興行中の数週間ほぼ毎日お手伝いして、空き時間には舞台袖に待機している人形を拝見する機会があった。1メートルほどの大きさだったが、よくできた細工や着物に目を奪われた。指関節も人間同様に動くように作られているもの、口が開閉するもの、目が動き眉毛が上下に動くものなど、その精巧さに目を見張った。  こうした裏方をする場合当然黒子となるのだが、私たちが着用したものは藍染めで紺色のものだった。人形を操る方は黒のものを着用していた。  あるときセットの転換で中央にあった装置を動かし、ライトがつくと目の前には観客席が広がっていた! 図らずも、わたしの舞台デビューとなった。 【清水一路】

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