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Writer's pictureRafu Shimpo

「サクラ サク」

 日本の春を象徴する桜。開花から満開へと華やかなお花見映像が飛び交い、桜花爛漫。  美しい桜を愛でながら、仲間たちと美味しいものを食べ、酒を酌み交わし、歓談する光景もまた美しい。平和日本の春の風物詩であることは間違いないのだが、花見の後のゴミの始末に最近は問題があるようだ。  劇場や駅構内など公共施設のゴミ入れは、爆発物などによるテロを警戒して数が少なくなっている。公園や川べりの花見スポットも同様で、一度に大量のゴミが出るから間に合わない。ゴミ袋を持参して、自分たちのゴミは残さず持ち帰るグループも多い。  ところが、日本の風流に親しみ花見を楽しむ外国人たちが増えているのはいいとしても、散らかし放題のまま帰る人たちが目に付くという。風流とともに公共マナーも学んでほしいところだ。  もともと花見行事は、奈良時代に貴族の間で行われたのが始まりとされている。そのころの花は、中国から伝来した梅を観賞していたようで、桜の花見は平安時代になってからとされ、さらに一般市民の間に広まったのは江戸時代の八代将軍吉宗のころから。  よく知られている「花は桜木 人は武士」の語句は、散りぎわが美しく、潔いもののたとえとして使われているが、さらに「桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿」は桜と梅の木の手入れ法を示しているし、「散る桜 残る桜も 散る桜」「明日ありと 思う心の 仇桜(あだざくら)」「世の中は 三日見ぬ間の 桜かな」などは五七五形態を用いた短い表現で、有為転変は世の習い、諸行無常の真理を鋭く突いている。  また、多くの人が高校時代に習った「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町)というのは、古文の先生の顔までが浮かんできそうな有名な和歌。掛詞の妙味はさすがといえる。  容姿の衰えを嘆くこの和歌を拡大解釈すると、誰にでも若いころにやり残したこと、やってみたかったことへの悔いがあるものだが、まだ若い人も、もう若くはない人も、決して遅すぎるということはないので、今からでもやり残したことをやってみよう、との気を起こさせる一首。  そういえば、「サクラサク」は大学入試の「合格」電報に使われていた。これからの人生ザクラは、いつでも「サクラサク」といきたいものだ!【石原 嵩】

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