たった一人の愛
日本では最近、殺人事件が多発しているのではないだろうか。私の単なる偏った印象であってほしい。殺した動機を聞かれた犯人が答えている報道を読むと、何かが変わりつつある。まるで、スリル満点のゲームを楽しむかのように簡単に人を殺し、殺したことの重大さを飲み込めていない。「殺す気はなかったが、気がついたら死んでいた」と言う。そうだろうか。ならば、殺された方はたまったものではない。 心理学者は殺人者の心理を「殺人とはきれいな紙をくしゃくしゃにするくらい簡単なこと」と分析する。抵抗できない相手をいじめる快感に拍車がかかり、自分でも止められなくなった時、行きつく先は死である。動かなくなった物体を見て、初めて、自分がしたことの重大さに気づく。「やばいことをしてしまった」と。どうあがこうが、死から生を作り出すことは出来ない。 殺人に至った人の生い立ちに同情する点が多いのも事実である。愛もなく、人間としての基本的な生活環境がない「壮絶な生い立ち」。何十年間に累積された怨念が、ある時爆発し、人を殺す結果になる経緯が見える。 そこに共通しているのは、母親の「子供だけは必死に育てる」という執念が抜け落ちていることである。もち論、子供を守りたい思いはあったろう。しかし、度重なる困難に疲れ果て、子への愛を手放したのだろう。その時、人は全うに生きる気力を失うのかもしれない。 恐ろしいのは、親が育児放棄した時の子どもへの影響である。子供は最も身近な親を無意識にまねる。子供は天然モンスターになってゆく。 いつも不思議に思うのは、母親の後ろに父親の姿が全く見えないことである。子供は男女がいないと生まれないが、母親は全ての責任を負って残され、父親は雲隠れする。父親は子供の生活の面倒を見て、初めて男である。そこから逃げたら、男でも父親でもない。 たった一人の親が自分を大切に思っていてくれる。たった一人の愛さえあれば、子供は救われると思うのは、甘いだろうか。日本は今変わりつつあると危惧するのは私だけだろうか。 【萩野千鶴子】
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