ふたつの真実
LAでの八代亜紀さんのコンサートが行われたときに、あるモンゴルの国民的な愛唱曲が歌われました。『JAMMAS真実はふたつ』というタイトルのこの歌には、一人の女性が生まれて死んでいくという生涯が綴られていました。「私が生まれた日 父さんもそして誰も みんな笑って喜んだ 泣いたのは私だけ 」という歌詞がありました。つまり、生まれるという真実。 もうひとつの真実は亡くなるということ。自分がこの世を去る時には周りの者は泣いているが、私だけは笑っているということです。そうだな、そうでありたいな、と思いました。死を喪失のように感じるのは残された者だけのことであり、去っていくときに笑うということは、生き切るということを意味しているからです。そして自分の代に達成できなかったことを、次の世代に託すというメッセージだからです。 モンゴルの歌ではありますが当地の人だけが感じる死生観ではなく、生まれることと間違いなくこの世を去るというふたつの真実は、国籍や人種、そして命のあるあらゆる生物にとっても、形や目的や長さが違えども確かに変わることのない真実だと語る歌詞に心を揺さぶられました。 そして、「思えば幸せも 命さえも借りたものね いつか訪ねて来られたら 感謝して返しましょう」と続きます。命は借り物であって、借り物だから、自殺しちゃいけない、殺し合ってはいけない。命を閉じる時がやって来たら、その借りていた命を「ありがとう」と言って感謝して返そうと伝えているのです。 自分の命は借りているものだから、命の終わりを自分で決めることはしないで、大切に有効に使い切る、つまり使命を全うすることが生命の営みなのかもしれません。借りている命だからこそ、自分だけのために使うのではなく、丁寧に感謝して返却するべきもの。そういう思いで生きることが大切。八代さんはそんな歌詞に同感して、それを唄うことで日本の人にも米国の人にも伝えたかったのかもしれません。明日かもしれない、遠い将来かもしれないですが、自分が亡くなることを想像することは、今をどのように生き切るのかということにつながります。【朝倉巨瑞】
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