わたしの成人の日
新しい年を迎え、多くの方が新たな目標に向かって進もうとしている頃だと思います。日本では成人の日のニュースが流れ、自分がその日を迎えた時のことを思い出します。私は親から離れ東京での一人暮らし、親からの仕送りを拒否してアルバイトをしながらの切り詰めた大学生活の真っ最中。慣れない人間関係の中で、悩みもがきながら迎えた20歳でした。年末に故郷に帰ることもありませんでしたので、旧友たちと会えるだろう成人式にも出席しませんでした。 なんとなく気持ちを晴らすために、赤坂の小さな神社に独り向かいました。繁華街では晴れ着が舞っていましたが、そこは人影が少なく、ひっそりと幻想的な空気が流れていました。何か願掛けをするわけでもなく、手を合わせることもなく、軽くお辞儀をした後、深くゆっくりと息を吸うと、ひんやりした空気がわたしの肺の中を満たしていきました。そしてほんの少しだけですが、『明日への希望』も吸い込んだような気がして、帰路をしっかりと噛みしめるように歩いたことが、わたしの成人式となりました。 つい最近まで子供や学生だったのに、ある日突然に、自覚とか責任とか大人であることを突き付けられる感覚は、目的も距離も何も分からないのに海に飛び込むようなものです。それが尊いことなのか意味のないことなのか理解できずに過ごしていましたが、約800年も前に道元が『正法眼蔵』でこんなことを伝えているのを知りました。 「魚は水を泳ぐが、いくら泳いでも水の果てはなく、鳥は空を飛ぶが、いくら飛んでも空の果てはない。そして、魚も鳥も、いまだ昔より水や空を離れたことがない」魚は海がどこまで続くかわかっていないのに、海を泳ぎ続けています。鳥は、空がどこまで続くかわかっていないのに、飛び続けるのです。魚も鳥も全体をわかって緻密な計算の上に泳ぎ、飛んでいるのではなく、まず目の前にある一歩を進んでいるのです。生きるということは進むことだからです。全体がわからぬ、詳細がわからぬと悩むよりも、大切なことは一歩前に進むことだったのです。大人になるということは、そういうことなのかもしれません。【朝倉巨瑞】
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