アンジェラ・アキが公演へ:音楽センス高め、舞台に戻る
「生きがい」というアンジェラ・アキのライブは、18日の一夜限り
オーロラ日本語奨学金基金(阿岸明子代表)が主催する秋恒例のベネフィットコンサートが、シンガーソングライターのアンジェラ・アキを迎え、18日(日)午後6時からレドンドビーチ・パフォーミングアーツ・センター(1935 Manhattan Beach Blvd.)で開かれる。アキは、ロサンゼルスの大学で音楽留学中のため、昨年8月から無期限の活動停止に入っているが、オーロラ基金の活動の趣旨を理解し出演を快く引き受けた。この一夜限りという公演では、新曲を披露すると約束し、大学で理論を学び音楽センスを高めたアンジェラ・アキが舞台に戻ってくる。【永田 潤】
約1年2カ月ぶりのライブに臨むアンジェラ・アキ
—ワシントンDCの大学では政治経済学を専攻し、なぜ音楽を学ばなかったのか。 15歳でハワイに移住して、高校時代は自分が音楽家として食べていくことができる自信がなく、音楽家が自分のオプションの1つにあるとは思わなかった。でも大学に入ってからライブをするようになり「ああ、やっぱり音楽だ」と思って、ストリートライブと、ライブハウスでの活動を18歳の時に始めた。
—10年間の輝かしい実績を捨てて渡米し、もったいない感じはしなかったか。 岐路に立った時に、ある道は安全牌の中で同じ活動を続けていくオプション。もう1つは、その安全網をすべて取り除いて「一番高い山に登って、その先にある景色を見て見る」。両方リスクはあるけど、1度しかないこの人生を、そして18歳ではない自分の身を考えると、「大至急山に登らないといけない」という気持ちになった。もちろんリスクはあるけど、そこに後ろ髪を引かれる感じはなかった。意外と潔く、きっぱりと決断をした。
—なぜ、音楽を専門的に学びたかったのか。 音楽を学ばずに、音楽界で10年やって来れ、フィーリングと本能の音楽を作ってきたので、それに音楽を混ぜたらすごいものになるだろうなと、思ったから。今は専門的に習い「なるほど、これは正しい」と、いつも思っている。20年遅かったけど、「遅くともしないよりまし」という感じ。(絵画に例えると)5つのカラーの絵の具で、ずっとペイントをしていたとする。赤を使うのはうまくなった。青もうまくなった。たまに赤と青を混ぜ合わせて紫の絵もできたけど、パステルで描いて見たい。蛍光色で絵を描いてみたい。いろんな他の色で、見えてる目を閉じて見える絵を描いてみたかった。そういう意味でパレットの上の絵の具を増やす意味で、エデュケーション、学校に行かなくてはいけないと思った。
—自身の音楽に劣等感や、音楽性に行き詰まりがあったのか。 日本のスタジオミュージシャンは、芸大、音大を卒業してて、音楽の教育を受けたトップの人たちばかり。そういう人たちの中に放り込まれてやってきたので、チャート1つ書くにしても、音楽の指示を1つ出すにしても劣等感があった。今学ぶ大学のプログラムでは、1年生に何を教えているかというと、チャートの書き方とミュージシャンの指示の出し方。これを18歳で学んでいたら、自分の人生は違っていただろうと思う。
—大学のクラスの様子を教えて下さい。
今は1年を終えたところで、あと1年くらいは、自分が学びたい音楽のクラスを取りたい。37歳のフレッシュマンは私だけで、他は18歳くらいで、年下のクラスメートと授業を取り、23歳に若返った気持ちで学んでいる。今まで経験したことのなかった音楽教育を受けていて、クラスメートは、私と同等の音楽レベルで、音楽のスタートラインに立っている気持ちがしてうれしい。
—グラミー賞を目指して頑張っているようですが。 ただ何でもいいから、グラミーを取りたいのではなく、こっち(米国)にもしっかりと自分の音楽の足跡を残したい。こっちで、音楽を通して人とつながってみたい。日本での10年間は、リスナーとのつながりや、本当に会ったことのない人でも同じようなエモーションを持って、つながることができた。一人じゃないんだという気持ちを共有できたことが私にとっての財産なので、そのようなつながりを、こっちの人と感じてみたいなと思う。それができた上で、実績としてグラミーというものにたどりつければうれしい。LAはエンタメの聖地でもあり、身を置くにはすばらしい場所と思っている。
—ミュージカルをするのも目標なのか。 ブロードウエー音楽は、ジャンルが違い、ポップソングを作るのとまったくフォーマットが違うので、ガーシュインなどクラシックを勉強し、理解した上で、ちゃんと制作しなければならない。今までは自分は、ポップスの世界にしかいなかったから、ミュージカルの世界に入るには、新しく学ぶ必要がある。シンガーソングライターであり、舞台作家であり演出家、プロデューサーであり、トニー賞も目指すかも? 日本は、わが家で、いつでも戻って活動したいし、こちらでも活動したい。
アンジェラ・アキは、新曲披露を楽しみにしている
—音楽のショービズについての考えと、今公演についての抱負を聞かせて下さい。 ショービジネスから引退したわけではなく今は活動停止中。今回のコンサートをやったからといって、すぐに復帰できるものではない。ファンの前に立って歌うのが好きだし、阿岸さんのライフスタイルと、非営利団体のオーロラ基金の活動に共感できたので、ショーを開いてチケットの売り上げで役に立てるならと思い、コンサートをすることにした。約1年2カ月ぶりのステージで、印象と記憶に残るコンサートというよりも「体現」になってほしい。1人でも多くの人に聴いてもらい、笑いあり、涙ありの「エモーショナル・ジェットコースター」のような楽しい時間になればいい。
コンサートを行うためにCDを作るアーティストなので、ライブは私にとって生きがい。ライブの空気にふれられるのを楽しみにしている。ショービジネスでは、歌わなければならない責任感のようなものがあったけど、今回は、すごくピュアな状態に戻った感じで歌えるような気がする。たくさん曲を作っていて、新しい作品を披露したい。ここで発表せずに、いつするのかという感じなので、頑張っていい曲を書きたい。
大学で学んで自分の音楽性は、もちろん変わった。音楽性は私の中から昇華されて出てくるので、聴く人に以前との変化を感じてもらいたい。
アンジェラ・アキ 1977年、徳島県生まれ。シンガーソングライターで、ジャズピアニスト。27歳の時、シングル「HOME」でメジャーデビュー。「サクラ色」「輝く人」などヒット曲を持つ。NHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲に「手紙~拝啓 十五の君へ~」を提供。NHK紅白歌合戦に6年連続出場。2014年8月の日本武道館での最終公演をもって無期限活動停止に入る。日本人の父、米国人の母を持つ日英バイリンガル。
アキ、基金の趣旨に賛同
阿岸代表「オーロラにぴったり」
アキは学業が多忙にもかかわらず、オーロラ基金の日本語の教育者・学習者の育成や大学院生の日本研修を支援する活動(17年間で57人に奨学金授与)の趣旨に賛同し「この1回だけやりましょう」と快諾したという。基金の奨学生に向けて「美しい日本語を、美しい日本で学ぶのは素敵なこと。バイリンガル、バイカルチャラルの代表になってほしい」とエールを送る。
アンジェラ・アキ(左)とオーロラ基金の阿岸代表
阿岸代表は、アキの積極性とチャレンジ精神を高く評価し「一生懸命、夢を追いかけて実現させようとする」と話し、「アンジェラさんは、日米の懸け橋になるオーロラの奨学生のロールモデルである。オーロラの公演にぴったりの最高のアーティスト」と強調する。また、音楽性のみならず、言語力の高さを「正統派のバイリンガルで、日本語、英語のスイッチの切り替えがパーフェクト」と賞賛し、アキが得意なトークについて「『女さだまさし』といわれほどで、歌とピアノはもちろん、喋りもすごい」と、本番での盛り上げに期待を寄せている。 アンジェラ・アキのコンサートのチケットは、全席指定で125ドル、100ドル、75ドル、55ドル、35ドル。購入は、紀伊國屋書店のロサンゼルス(213・687・4480)、コスタメサ(714・662・2319)の各店、オール・アメリカン・チケッツ(888・507・3287、www.allamerican-tkt.com)、またはオーロラ・ファンデーション事務所まで。 コンサート2日前の16日(金)午後5時から、小東京のダブルツリーホテルで表彰式とガラディナーを催す。チケットは100ドル、1テーブル千ドル。 イベントの詳細はオーロラ基金まで、電話323・882・6545。 www.jlsf-aurora.org AuroraFoundation@usa.net
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