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アーチー・ミヤタケさんが死去:92歳、日系2世の写真家
二世週祭の閉幕式で、撮影を行うアーチー・ミヤタケさん
日系2世の写真家で、「トーヨー・ミヤタケ・スタジオ」を経営したアーチー・ミヤタケさんが20日午前9時30分、老衰のためアルハンブラ病院で死去した。92歳だった。葬儀は、1月4日(水)午後7時から小東京の高野山別院で執り行われる。
アーチー・ミヤタケさんは、大きなカメラを首に掛け、笑顔を振りまいた
ミヤタケさんは1924年、ロサンゼルスで生まれ、ボイルハイツで育った。第2次大戦中に過ごしたマンザナ日系人収容所で、写真家の父親トーヨーさんから写真術を学んだ。戦後は、トーヨーさんが戦前に小東京に起し、再開した写真館で働き、トーヨーさんの引退で後を継いだ。 日系人を顧客にポートレートや家族写真、結婚写真、七五三、葬儀、各種コミュニティー行事を撮り、約70年にわたり活動。また、変遷する小東京の町並みを写し、作品を提供することで日系史の記録、保存に寄与した。マンザナ収容所跡地を国立公園局の史跡にする活動に、妻タケさんとともに尽力した。 戦後に復刊した羅府新報では、オフィシャル・フォトグラファーとして活躍した。二世週祭では、撮影のみならず、実行委員として支え、委員長を1年務めた。2005年には同祭のグランドマーシャルに選出された。 日米文化会館の小阪博一アートディレクターは、5度ほど催したミヤタケ父子の写真展のキューレーションをし、アーチーさんとは一緒に講演会で話したり、映画を作ったりしたといい「きちんとした性格で、責任感が強かった。日本人のきめ細かさが、作品に表れていた」と話した。訃報について「1人のカメラマンではなく、リトル東京の代表という感じだった。コミュニティーの大きな財産をなくした」と悼んだ。
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