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ジェームズ・カンノ氏死去:ファウンテンバレー市の初代市長
オレンジ郡ファウンテンバレー市の初代市長を務めたジェームズ・カンノ氏=写真=が今月15日、死去した。91歳だった。
カンノ氏は1925年12月22日にサンタアナで生まれた。第二次世界大戦中、カンノ氏と家族はアリゾナ州のポストン戦時強制収容センターに収容された。サンタアナ高校在学中に戦争が勃発したため、同校を卒業することができず、43年にポストン高校で卒業証書を受け取った。 収容所生活の後、ミシガン州アナーバーに移り、大学病院の厨房で職を得て働き始めた。しかし数カ月後、ポストンの乾燥した砂漠の中での生活が影響を及ぼしバレー熱にかかっていることが発覚。1年ほど入院生活を余儀なくされた。 退院後はウィスコンシン州にあるマーケット大学に進学しエンジニアリングを専攻。まもなくして家族がいるサンタアナに戻り、サンタアナ・カレッジとカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)を卒業した。 その後、ファウンテンバレーで農地を購入。57年にまだ非法人地域だった同市の市長に選出され、62年まで市長を務めた。 市長退任後もファウンテンバレーの日系人ファミリーを支援し、オレンジ郡の日系団体の会長を務めるなど、40年以上にわたって日系団体の活動に尽力した。第二次世界大戦中の日系人の体験を教える学校を数多く訪れていたことでも知られる。 99年にカンノ氏はかつて通ったサンタアナ高校の卒業式に出席。当時受け取ることができなかった卒業証書を晴れて受け取った。2006年には二世週祭のパイオニア賞を受賞した。 葬儀は近親者のみで行われる予定。【吉田純子】
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