ビジネスワイド:排ガス測定装置で世界1
ホリバ・インスツルメンツ社の堀場弾社長
ホリバ・インスツルメンツ社長
堀場 弾さん
自動車の排ガス測定装置で世界第1位のシェアを誇り、日本、米国、欧州、アジアとグローバルに事業を展開する堀場製作所。昨年発覚した独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)の排ガス不正問題では、不正を発見したウエストバージニア大学が同社の製品を使用していたことは記憶に新しい。アーバインにある米国本社ホリバ・インスツルメンツ社の堀場弾社長に、同社の米国進出の経緯や継承される創業者の精神など話を聞いた。【取材=吉田純子、写真も】
45年前に米国進出 大手メーカー、EPAが採用
堀場製作所は京都に本社があり、アーバインにあるホリバ・インスツルメンツは北南米の拠点となっている。全米ではミシガン州アナーバー市、トロイ市、テキサス州オースティン市、アルビン市、ニュージャージー州エジソン市、ネバダ州リノ市、カリフォルニア州サニーベール市など計8カ所に研究開発のオフィスや工場などを構え、米州では約850人、全グループではおよそ6500人の従業員がいる。
もともとpHメーターの製造からスタートし、赤外線の分析計やガス、粒子計測など物の成分や成分濃度を測定する機器の製造などにも着手し事業は拡大。現在は自動車計測をはじめ環境・プロセス、医用、半導体、科学の5つの分野で事業を展開している。北米は5部門すべてを網羅しており、アーバインにあるホリバ・インスツルメンツは北米のヘッドオフィス機能を果たすと同時に医用、環境プロセス、科学の3分野も担っている。
アーバインにある米国本社ホリバ・インスツルメンツの「アプリケーションラボ」の様子
堀場製作所のビジネスの柱は自動車部門で、同社の排ガス測定装置は世界シェアの80%を誇る。自動車メーカーや政府機関などが顧客で同社の製品を使用し自動車の排ガスに含まれる窒素酸化物や一酸化炭素、二酸化炭素、二酸化窒素などを計測している。 米国事業が始まったのは今からおよそ45年前。「日本の自動車メーカーには逆輸入のような形で使っていただけるようになったのです」。実は同社の排ガス測定装置は当初、日本の自動車メーカーには起用されなかった。最初に導入したのは米自動車メーカーだった。 「私の祖父の時代だったのですが、当時は会社の規模も小さく、製品を日本の大手自動車メーカーに持ち込んでも、『どこの誰かも分からない会社からは買えない』と、なかなか機器の性能を証明する機会を与えてもらえなかった時代があったのです」 しかし弾氏の祖父で創業者であり当時社長だった堀場雅夫氏は自社の製品に絶対的な自信を持っていた。「日本でだめなら海外で勝負だ」。雅夫氏は72年に米国で100%子会社の「ホリバ・インターナショナル」を設立した。 米進出後、同社の排ガス測定装置は米自動車大手のフォード・モーターやゼネラル・モーターズ(GM)に採用された。それを見た日本の自動車メーカーは米大手自動車メーカーで使われている製品が「日本の堀場」であることを知る。「それから日本の自動車メーカー各社に同社の製品を使っていただけるようになったのです」 1975年には環境保護庁(EPA)が同社の製品を納入。これにより日本だけでなく欧州メーカーへの納入も加速。当時、米国に輸出していた世界各国の自動車メーカーは同じシステムで事前測定を行い、規制をクリアしたかったことが背景にある。
祖父は学生ベンチャーの先駆け 「おもしろおかしく」の精神
創業当時のpHメーターのレプリカ
2015年7月に他界した弾氏の祖父・雅夫氏(享年90)は学生ベンチャーの先駆けとして知られる人物。京都大学在学中、原子核物理の研究をしていたが第二次世界大戦が勃発し、まもなくGHQによって研究室がつぶされてしまう。研究への情熱を捨てきれなかった雅夫氏は45年に自ら堀場無線研究所を立ち上げ、53年に京都で堀場製作所を設立した。 雅夫氏は研究過程の中で、酸性・アルカリ性の度合いを測定するpHメーターの必要性に気付いたが、当時は海外の製品しかなく、高額で手に入らなかった。そこで自ら国産初のガラス電極式pHメーターを開発した。 「必要なものは自分で生みだす」。この創業者の精神が社是の「おもしろおかしく(Joy and Fun)」にも反映されていると弾氏は語る。 「人生の3分の1は会社で過ごす。その時間をいかにクリエイティブに過ごせるか。時に逆境に見舞われてもそこに楽しさを見いだし、人生を豊かにすることの大切さをこのメッセージに込めたようです」 「常におもしろおかしいから疲れへんねん」が口癖だったという雅夫氏に「お疲れさまでした」と言うと「疲れてないから、お疲れさまでしたって言わんといてくれ」と社員はよく叱られたそうだ。 1992年には雅夫氏の長男で弾氏の父である堀場厚氏が社長に就任。同社長の就任より海外進出が加速。96年に血球計数装置メーカーの仏ABX社(現ホリバABX社)を買収。よりグローバルな製品ラインアップと組織拡大を図った。2005年には自動車駆動系のテスト、性能試験、クオリティー試験設備を持つ独カール・シェンク社、15年には自動車関係のエンジニアカンパニーで衝突試験や雨天時での走行試験などが出来る設備を持つ英MIRA社を買収し、排ガス測定装置だけでなくトータルで車の検査ができる設備も整えた。 06年には雅夫氏が理化学機器・分析機器分野における最高の賞である、「ピッツコン・ヘリテージ・アワード」を日本人として初めて受賞した。
ビジネススクールに進学 修業期間で自信つける
弾氏は大学卒業後、堀場製作所に入社。最初、日本で営業や企画を経験した後、ミシガン州の支社に転勤となり、経営サポートして4年を過ごした。グローバルな社員と議論するうちに、論理的にビジネスを進めるやり方や考え方のプロセスなど自分の足りないところが見えてきたという。 「それを補うためにビジネススクール(MBA)への進学を考えました」。しかし同氏の父で社長の厚氏は「MBAを取得したからといって仕事が出来る訳ではない」とビジネススクールには反対の意見を持つ人物だった。「なのでまさか息子からビジネススクールに進学したいと言われるとは思ってもみなかったようです」 弾氏はカリフォルニア大学アーバイン校(UCI)の管理職向けのビジネススクールに進学した。実際に入学してみると想像していたより大変だった。働きながら勉強づけの日々。「これは絶対に無理だと半年くらい思っていました」。しかししっかり準備していくことで、言葉に壁があっても議論と情報量では負けないという自信がついてきた。また同社の経営を通して自ら学んだ国際ビジネスについてクラスメートに情報発信することも多くなり、クラスの中でも徐々に存在感を表し始めた。 実は本当に辛かった時、父である厚社長に「もう無理だ」と本音をこぼしたことがあったという。しかし同じUCIの工学部とさらに大学院で学んだ経緯のある厚氏は息子にこう言ったという。「自分も何度も無理だと思った。しかしがむしゃらに頑張っていればなんとかなるものだ。だから諦めるな」と。 「今では笑い話ですが当時は父に『そうは言っても絶対僕の方がしんどいで』と言い返していました」。父であり社長でもある厚氏の言葉にも支えられ、無事卒業証書を手にした。 2年間の修業期間の後は学んだことが事業にも生かされ、メンタル面でも物怖じしなくなったという。また同社はUCIと同じアーバインにあるためローカルの実業家との人脈も広がり、苦労をともにしたクラスメートは大きな財産になった。 堀場製作所は世襲制のようにみえるが実は世襲が決まっている訳ではないという。雅夫氏の後、大浦政弘氏が2代目社長に就任。大浦氏が退いた時、「次の社長には厚氏を」と推した。 弾氏は小さい時から同社を継がなければならないと言われて育った訳ではなく、違う道を考えた時期もあったという。「もちろん社会人として働いている以上、会社のトップに立ちたいという思いは誰にでもあると思います。しかし社長になることが自らに決められた道であるとは思っていません。会社にとってプラスになることをしていきたい、そう思っているのです」。若き経営者は創業者の精神を受け継ぎ、躍進を目指す。
堀場弾社長略歴
1980年、京都府京都市出身。大谷高校卒業。2004年、京都産業大学経済学部卒業。同年、株式会社堀場製作所入社。営業本部科学システム営業部配属。2008年9月、ホリバ・インスツルメンツ社(アメリカ)自動車計測事業部出向、12年9月同社社長補佐。14年6月、カリフォルニア大学アーバイン校大学院経営学修了(MBA)。同年7月、ホリバ・インスツルメンツ社社長兼ホリバ・インターナショナル社副社長就任、現職
アーバインの米国本社で全米各地から送られてくる報告事項を確認する堀場社長
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