マンザナー巡礼、節目の50回:他人種とヘイトに共闘
慰霊塔に祈りを捧げる参加者ら
第2次世界大戦中に日系人が収容されたカリフォルニア中部のマンザナー強制収容所跡地で4月27日、苦難に満ちた当時を振り返る式典が開かれた。1969年に第1回が開かれ、今年で50回の節目となった週末3日間の催しには2500人以上が参加。日系だけでなく「ヘイト」に苦しむイスラム教徒など、他人種の参加者も多く見られた。
主催団体「マンザナー委員会」のスピーカーらは、「メキシコ国境付近で政府により進められている不寛容な政策と、42年当時の政府が日系人に対して行った政策の酷似」を今年の主要テーマとして語った。
マンザナー委員会を代表し基調演説するフレッド・コレマツ氏の娘カレン氏
その中の一人、ブルース・エンブリー氏は「当時、日系人のために立ち上がった者はいなかった。議会の床に座り『この政策は間違いだ』と声を上げた者は日系以外では誰一人もいなかった」、「今は当時の社会と異なるべきだ。われわれは他人種のために共に立ち上がり、ヘイトに対し声を上げなければならない」と述べた。「50年前にマンザナー委員会が宣言した言葉、『マンザナーは、単に国の間違いを示すシンボルとしてではなく、民主主義と人権の大切さを表す記念碑となるべきだ』これを忘れてはならない」と声を上げた。
全米10カ所以上の強制収容施設の幟が掲げられた
他には、サンフランシスコの弁護士デール・ミナミ氏、強制収容の不当性を裁判で争うなどし、日系人の名誉回復に努めた故フレッド・コレマツ氏の娘カレン・コレマツ氏も基調演説を行った。会場からは盛大な拍手が起こった。
イスラム教徒の組織団体からも代表者が登壇。2001年同時多発テロ以降広がったイスラム教徒への差別的な風潮、その歴史を繰り返さないよう訴えた。
マンザナー特有の乾いた風が吹き気温が86度まで上がる中、参加者は給水しながら2時間余り続く式典に臨んだ。今年は日本人の団体も多く参加し、皆、日系の歴史を肌で感じ学んだ。
アリソ・ビエホのアーバイン日本語キリスト教会で牧師をする杉村宰氏は、教会連盟に呼びかけマンザナーバスツアーを実施した。歴史好きで日系の歴史にも詳しい杉村氏は、マンザナー強制収容所の歴史と、シエラネバダ大自然のすばらしさを紹介したいと常々考えていたという。「(予想していた人数よりは)やや少なかったが、27人が参加。収容所経験者が家族にいたという人は『どういう場所だったのか確認したい』と言っていた」。グループの一人、南パサデナ在住の竹下弘美さんは、マンザナーを舞台にした恋愛小説『虹』で受賞経験があるという。「あのときは想像して書いたのでいつか訪れたいと思っていた。(実際に現地をみて、小説の描写は)大丈夫だったと感じた」。
UCLA「響童太鼓」の演奏に合わせ音頭を踊る参加者(後方)
バークレー大学から9時間運転してきたという討論会サークルの学生7人。 グループの中の2人の祖父母が強制収容された経験をもつことから、他のメンバーを誘ったという。マンザナーで暮らした祖父母から昔話をよく聞いたというサム・アイコ・クロウさんは、「50回の節目に参加できて嬉しく思う。いつか来てみたいと思っていたので、仲間といっしょに実現できてうれしい」と笑顔。
同じく祖父母から当時の話を聞くことがあるというジェレミー・アダムスさんは、「ワイオミング州のハートマウンテン収容所にいた祖父母に今日の式典参加を知らせたい」と語った。
式典の最後には音頭が流れ、参加者は輪になり「炭坑節」などを踊った。
資料館では、 当時のバラックを再現した展示や資料映画を鑑賞する人の姿も見られた。バラックが建っていた実際の跡地を歩くツアー参加者は、ガイドの説明に熱心に聞き入っていた。【麻生美重、写真=マリオ・レイエス】
バークレー大学から参加した討論会サークルの7人。中央がクロウさん、右から2人目がアダムスさん(麻生撮影)
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