ロサンゼルス―東京線就航60周年:植木会長「圧倒的で最も重要な路線」
日本航空のロサンゼルス―東京線就航60周年で記念祝賀セレモニーを開いた関係者
日本航空は、ロサンゼルス―東京線就航60周年を迎えた5月29日、記念セレモニーをロサンゼルス国際空港の搭乗口で催した。来米した植木義晴会長が、成田に向う搭乗客を前にあいさつに立ち60年を振り返り、関係者は祝辞を贈った。
成田へ向け搭乗する利用客。紅白の風船が、就航60周年の祝賀ムードを盛り上げた
日本の航空会社で、初めてロサンゼルスと日本を結んだ日本航空。1959年の開設当時は、自動車メーカーをはじめ、日本から企業が盛んに米国へ進出して高度経済成長を支えた。経済のみならず文化、芸術、学術、留学、観光などさまざまな目的で渡米する利用客に愛され続け人的交流に貢献。まさに日米の懸け橋役に徹してきた。近年では訪日客が年々増加する中、日本に着く前からの「おもてなし」による接客は定評があり、利用者は快適な空の旅を送っている。
日本航空は現在、ボーイング777―300機でロサンゼルスから成田への直行便を毎日運航している。ロサンゼルスから日本へはまた、共同事業パートナーであるアメリカン航空による運航便を合わせ、成田へ2便、羽田と関西へそれぞれ1便、計4便を毎日運航している。
記念祝賀セレモニーであいさつする植木義晴会長
セレモニーであいさつに立った植木会長は、利用客と日々の運航を支える同空港をはじめとする関係者に謝意を表した。そして60年前の初フライトやパイロット時代に訪れた同空港とLAの思い出を紹介したり、次の10年に五輪や万博を控える日本にとって、同社と同路線が果たす役割の大きさを強調した。
同会長によると同路線の初便は、40人を乗せて羽田を「City of Los Angeles号」と命名されたプロペラ4発機のDC―7型機で28日に出発。給油のためにハワイ・ホノルルを経由し、約25時間かけて翌29日にロサンゼルスに到着し「現在の2・5倍の時間を要した長旅だった」と、紹介した。
その運賃は32万円で、当時の日本のサラリーマンの平均年収は約35万円の時代だったため「一般庶民にとって、いかに海外旅行が高嶺の花だったかがわかる」と説明した。一方の米国の利用客にとっては、当時の平均年収は3900ドルで、運賃は878ドルだったことから「日本の運賃とは、大きく違うところが興味深い」と話した。
スタッフは歴代の制服を着用し接客した
パイロット出身の会長は、747―400機の機長として、1995年から約10年間、ロサンゼルスに年2回のペースで訪れていたという。同空港について「平行な滑走路が4本あり、それぞれ2本ずつが、離陸、着陸に共用され交通量の最も多い空港であり、管制官は息つく間もなく、しゃべりっぱなしで、われわれパイロットも全く気の抜けない空港だった」と、当時の緊張感を紹介したが、「ただ到着後、最高のシーフードに舌鼓を打ったことは、当時の最高の幸せだった」と、笑いを誘った。
「次の10年をイメージすると、2020年に東京五輪・パラリンピック、2025年に大阪万博、そして2028年にはここロサンゼルスで五輪・パラリンピックが開かれる。こうしたイベントを機に、今以上に日本・アジアとロサンゼルスの結びつきが深まる10年になると想像している」と力説。「われわれ日本航空は、これからもご搭乗のお客さんのみなさんに満足してもらえるように、安全、安心を最優先して、最高のサービスを提供できるように努めたい。今後も変わらぬご愛顧をお願いしたい」と抱負を述べ、締めくくった。
同会長は記者の質問に答え、ロサンゼルス線の需要の大きさや技術革新による航空業界の変化に合わせた同社の対応について説いた。
搭乗口前では利用客に軽食が振る舞われた
米本土への路線の需要は、高い順にロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコといい「ロサンゼルスは、二つの都市を圧倒的に引き離している。米州本土の中で最も重要な路線になってきている」と力を込めた。この日、成田に向ったJL61便の座席利用率は95%といい、同路線は常に高い利用率を誇っている。
航空業界を展望し「必ず変化が訪れる。超音速機が必ず出て来て、これをどのように導入するか。次は、環境を考えた電気飛行機で、これも取り入れたい。宇宙もわれわれの旅行の対象になる」と説明。「これらは決して夢物語ではなく、近い将来やって来る。どんどんイノベーションが起こり、早めに取り入れられる航空会社でいたい。いろいろ夢がある」と、目を輝かせ語った。
就航記念日の翌30日には、旅行会社や共同事業パートナーであるアメリカン航空など関係者を招いたレセプションを催し、LA―東京線就航の「還暦」を盛大に祝った。
祝賀レセプションに招待したIACEトラベルの蒲生潔志さん(右)と小宮昇司さん(左)をもてなす中島喜一支店長
中島喜一・ロサンゼルス支店長 ロサンゼルスと日本を結んで60年間、安全に運航することができた。これからも愛され続ける路線になるように社員一同たゆまぬ精進を重ねたい。
スザンヌ・ボダ・アメリカン航空シニアバイスプレジデント ビジネスパートナーとしてすばらしい事業ができている。日本からLAに初めて就航し、60年も継続しているこの記念すべき日に、パートナーとして祝福できて、われわれは幸せに思っている。
ナンシー・マツイ・アメリカン航空アカウント部長 次の60年もわれわれとパートナーを組んで、ファミリーとしてともにビジネスを成功させたい。
岡山和正・アムネット・ロサンゼルス支店長 60年という私が生まれる前から日米の懸け橋として就航しすばらしく、これを守っていかなければならない。今は当たり前の日米の飛行時間は10時間を切り、行き来がしやすくなっているけど、当初の苦労とその大切さを思うと、われわれ航空券を販売する身として忘れないようにしたい。
蒲生潔志・IACEトラベル・セールス・マーケティング統括総支配人 これからも日本人ならではのきめ細かなサービスで快適な空の旅を提供してほしい。食事、サービスのすべてにおいてトップクラスなので、われわれのお客さんに自信を持って勧めることができる。【永田潤、写真も】
搭乗客を待つJL61便
祝賀レセプションで、一本締めを行う植木義晴会長(右端)ら参加者
固い絆を再確認した日本航空とアメリカン航空のスタッフ。前列左から2人目が中島喜一支店長、4人目が植木義晴会長、右隣がスザンヌ・ボダ・アメリカン航空シニアバイスプレジデント
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