仙台との絆を再確認:支援者の白松さん「一致団結し、継続を」
ロサンゼルス市から贈られた表彰状を披露する白松さん(左から3人目)。右端が撫養委員長
「ロサンゼルス七夕まつり」(撫養真寿美実行委員長)は7回目を迎え、今年も盛況を極めた。成功の背景には、第1回開催から支援を継続する仙台の和菓子製造販売会社「白松がモナカ本舗」社長の白松一郎さんの貢献が大きい。物心両面で支える白松さんが来米し、初参加した同祭から表彰を受け、LAは祭りの手本とした仙台との絆を再確認した。
今から約7年前、LA七夕まつりの発起人で当時の委員長のブライアン・鬼頭さんと、祭りの発案者で南加宮城県人会会長の米澤義人さんは、祭りの開催にあたり白松さんに協力を求めた。2人が「小東京と二世週祭の活性化のために」と切実に訴えると、仙台の地元で地域活動に力を注ぎ、その重要性を知る白松さんは「ロサンゼルスのアメリカ人に七夕を見てもらい、日本文化のよさを知ってもらえればいい。そして二世ウイークと日系社会を七夕で盛り上げることができればうれしい」と快諾したという。以来毎年、同社が制作し仙台七夕まつりで金賞を受賞するなどした芸術性の高い、14フィートの七夕飾り10個を寄贈している。 米澤さんは「仙台から贈られた、きれいで大きな七夕飾りがあるとないのでは、祭りの盛り上がり方が全然違う」と言い切る。さらに、外見の美しさのみならず「仙台からの心強い応援を感じ、励まされる」と強調する。鬼頭さんは「毎年10個の七夕飾りを寄付してもらい本当にありがたい。白松さんのサポートがなければ、祭りを始めることができたか疑問に思うほどだ」。鬼頭さんは、白松さんと自身の共通点―老舗の和菓子製造・販売店の3代目社長、コミュニティー活動を継続、七夕まつりを愛する—を挙げるが「白松さんに近づくには、まだまだ。がんばりたい」と、刺激を受けた様子で話した。 白松さんは、鬼頭さんと米澤さんの「七夕まつりで、リトル東京を元気にしたい」という熱意に応えたといい「アメリカ人と世界から来た人に日本の文化を紹介し、大和魂を見せて頑張っている」と称賛する。表彰を受けた式典でのあいさつで「仙台は70年かかって七夕飾りが1500個。LAは7年間で183個集まった。10年後には、仙台を追い越すと思う。七夕まつりをぜひ続けてほしい」と願った。 白松さんによると、仙台七夕まつりは「地元商工会議所が音頭をとり、市が支援し、各町内会が七夕飾りを作っている」と説明する。LAとの共通点を見出し「ブライアンさんの交番が頑張って、コミュニティーに呼びかけみんなで作り、二世ウィークと県人会協議会が支えている」と話した。だが「LAはやる気では、仙台を上回っている」と話す理由は、七夕飾りの制作で、材料調達の難しさなど、恵まれない環境を克服している点を高く評価する。 LAでは、竹や和紙の入手が困難なため、くす玉の骨組みは調理用のボウルを利用し、吹き流しの輪っかは業務用醤油樽で代用しており、白松さんは「ないないづくしの中で、頑張って作っている。見上げたものだ」と工夫を褒める。また、会場には、大きな竹や笹を飾って、短冊があることにも驚いたという。仙台に帰って伝えたいことは「あちらのロサンゼルスの日本人会は、本当によく頑張っている。われわれの尻尾をつかんだので負けてはならない。本家としての力を見せなければならないと、言いたい」 米澤さんによると、控えめな白松さんは、多大な寄付を続けるが、それを公にすることを嫌うという。そのため、このたびの表彰と、グランドパレードの参加は、秘密にした。白松さんは「何も聞かされず、びっくりした」と話し、グランドパレードでは、照れながらオープンカーに乗って登場し、大きな声援を受けていた。 東日本大震災の発生時は、その甚大な被害を考慮し、LAは祭り開催の自粛を検討した。だが、募金による被災地救済とエールを送る目的で開催に転じた。白松さんは、「当時の恩を忘れはしない」といい「たくさんの義援金を村井県知事に届けてもらい感謝している。そういう絆があったからこそ7年の付き合いができ、祭りが続いていると思う。長く続けていくためには、絆を強めていかなくてはならない。日系社会がこれからも一致団結して、継続してほしい」とエールを送り、支援を約束した。【永田潤、写真も】
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