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Writer's pictureRafu Shimpo

吃音克服し副大統領、次は?

 「僕が君に話したことを決して忘れないで。君は必ず吃音を克服することができる。僕がかつてそうだったように。困難を打ち破った時、君はその手で勝利をつかみ取ることができるだろう」  これはジョー・バイデン副大統領が1994年、当時まだデラウェア州選出の上院議員だった頃、吃音症の少年と出会った後、少年に宛てた手紙の中の一文だ。文章は手書きで書かれていた。  少年の名はブランデン・ブロックスさん。彼は学校の遠足でワシントンDCを訪れた際、バイデン氏に質疑応答の機会が与えられた。質問しようとしたその時、吃音の症状が出てしまった。  慌てふためくブロックスさんをバイデン氏はそばに呼び寄せ、かつて自分も吃音に苦しんでいたことを明かす。そして可能な限り人前でスピーチし克服したのだと告げた。  バイデン氏の人生には苦難がつきまとった。交通事故で最初の妻と幼い娘を亡くし、同乗していた長男と次男は負傷。2人の入院先のベッドの横で上院議員の就任宣誓をした。今年5月にはその長男を脳腫瘍で亡くしている。  7月にバイデン氏がLAを訪れた際、演説を聞く機会があった。スピーチはかつて吃音というコンプレックスを抱えていたとは微塵も感じさせない程、力強いものだった。  スピーチ社会米国では学校にもスピーチクラスがあり、米国人は子どもの頃から鍛えられる。スピーチの名手でなければ副大統領にまで上り詰めることは到底できない。並大抵の努力ではなかったことが想像できる。  激励を受けたブロックスさんはその後、バイデン氏のアドバイス通り、人前でスピーチを始めた。20年の歳月が経ち、彼は父となり、現在は弁護士として活躍している。  時として、ひとりの人との出会いや言葉が、まるで魔法にかけられたがごとく、その後の人生を大きく変えてしまうことがある。そして困難を克服する姿は人々の心を鼓舞し、希望を与えてくれる。  バイデン氏は現在、次期大統領選に立候補するか否かで注目されている。かつて吃音だった少年が大統領になることはあるのか。出馬表明すれば、吃音で悩む人々に勇気を与えてくれることだろう。【吉田純子】

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