変幻自在の解釈
日本語では何かを言う時、正しい表現かどうかとは別に、なるべく穏やかな言葉で表現するのが一般的に良い日本語であるとされている。例えば『女中さん』 という代わりに『家政婦さん』と呼び、『百姓』(この言葉はもともとは由緒正しい言葉なのだが)を『農業従事者』などと言い換えて満足している。何か問題が発生すると、基本はそのままにして、表現だけを変えて(即ち解釈を変更して)お互い暗黙のうちに納得・了解しあう癖があるようだ。 1945年8月15日は日本にとって『敗戦の日』であるのにわれわれはこれを『終戦記念日』と呼び慣れてきた。日本の終戦(敗戦)秘話について書かれた書物によると、当時、連合国側からポツダム宣言を突きつけられ、無条件降伏を迫られた時、当時の日本政府は最後まで『国体の護持』、即ち天皇制の維持にこだわったという。そして連合国側からの解答を意図的に誤訳してまで、国体の護持が維持されることにして徹底抗戦派を説得したという。 日本国憲法は施行されて満69年、国家も社会も世界もこんなに大きく変化しているのにわれわれの憲法が不変なのは日本が変化に応じ、都合よくその解釈を変えているからだろう。例えていうならば長さを測るモノサシを生ゴムで作っておいて、必要に応じて伸ばしたり縮めたりして長さを測っているようなものだ。日本とは実にフレキシブルで便利な国だ。特に最近の日本は、現行憲法を本文の一字一句も変更せず、解釈を変更する離れ業をやってのけるのが目立つ。こんなことが許されるのも、古来日本人の持つ国民的性癖なのだろうか。 日本内外を取り巻く変化に対応するため、日本国憲法の見直しこそ最重要課題であり、国民的議論を喚起すべき時ではないだろうか。それが立憲民主主義を謳う本来の姿だろう。今、改憲論議をやっても国民の理解を得ることが困難であるというならば、まずは国民に対しわかりやすく丁寧に説明して説得することが必要だと思う。日本国憲法を都合よく解釈だけ変えて現状に当てはめていると、将来に禍根を残すことになりそうだ。【河合将介】
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