子どもたちが世界平和を発信:5月にロサンゼルス公開へ
映画「折鶴2015」試写会に参加した出演者とスタッフら。前列左から2人目が曽原監督
広島で被爆後、白血病を発症し病床で回復を願って鶴を折った佐々木禎子さんの物語を授業で学んだロサンゼルスの小学生たちが、千羽鶴を折り世界に平和を発信する短編映画「折鶴(Orizuru)2015」(曽原三友紀監督)は昨年、広島国際映画祭に出品され反響を呼んだ。ロサンゼルス公開(5月27日〜6月2日、ウエストLAのレムリ・ロイヤルシアター)に合わせ、さまざまな平和教育プログラムが開かれる。
禎子さんは、広島とシアトルの両平和記念公園内の「原爆の子の像」のモデルである。12歳という短い生涯は、日本のみならず米国を含む世界約50カ国で紹介され、教材として授業で使われている。 禎子さんについて25年前に習ったニューメキシコ州ロスアラモスの子どもたちが建てた平和の碑がある。世界の子どもたちに呼びかけて1ドルずつ基金を集め、完成させたことを知った曽原監督は「原爆が作られた町(ロスアラモス)の子どもたちが平和の碑を作ったと聞いてびっくりした」という。「その話と禎子さんの話をミックスさせて、アメリカ人の子どもたちが世界に平和を発信するストーリーにしたいと思った」と、映画制作の経緯を説明する。 映画は、日本からLAに移り住んだばかりの小学5年生の主人公さとしは新生活に馴染むことができなかったが、級友そして、真珠湾攻撃の生き残りの退役米兵に、鶴の折り方を教えることで、友情を深めていく。さとしは、元兵士に頼まれ、真珠湾の記念館で開かれる戦没者追悼式典に参加し、禎子さんの実兄の雅弘さんと出会う。禎子さんの遺品である折鶴を贈られたさとしは、禎子さんの遺志を受け継ぐ決心をする。 映画に出演したマーマン小学校の生徒たちが授業で実際に折った鶴と、日米の有志から寄せられた折鶴の総数は3800羽となった。そのうちの千羽を広島、もう千羽をホワイトハウスに贈り、折鶴でつなぐ平和の輪は広がる。 作品の試写会が関係者を集め先月末、ウエストLAで開かれた。曽原監督が、あいさつし、映画制作のきっかけは、自身の子どもが禎子さんの物語を学校で学んだことと紹介し「戦争やテロに心が痛み、何か命の大切さを作りたいと思っていた。ちょうど昨年が戦後70年であったことからこの作品を作ろうと思った」と話した。 禎子さんの1羽、JANMに寄贈へ 実兄雅弘さん、平和教育で講演 LAでの上映には、佐々木雅弘さんと息子の祐滋さん(禎子さんの甥)が、禎子さんの折った1羽(米国で4羽目)を持って来米し、全米日系人博物館(JANM)に寄贈する。2人は、雅弘さんが理事長を務めるNPO「サダコレガシー」で平和活動を継続しており、当地では小、中、高校を回り、平和教育プログラムで雅弘さんが講演を行い「世界の一人ひとりが思いやる心を持てば、戦争は起きない」という禎子さんが抱いた「禎子スピリット」を伝える。 【永田潤、写真も】
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