top of page
Writer's pictureRafu Shimpo

平和記念日に平和祈念を

 1年365日の中で、さまざまな記念日、長い歴史では節目の年がある。人生では、自身はもとより子ども、初孫が生まれた日、人生の伴侶と結ばれ門出を祝った日、家族、恩人、ペットの命日、新居を構え一国一城の主となった日、野望を抱いたものの不安が入り混じる中で起業した日、芸道に精進し晴れて名取を披露した日、渡米した年月日などなど。人によって思いは異なるが、記念日は、いつまでも大切にしたいものだ。  今年は、大きな節目の年と、記念の回の催しが多く重なったように感じる。ここでは、戦後70年と、高校野球創設100年、祭りたけなわの第75回記念二世週祭に注目したい。  今年も広島、長崎それぞれの原爆の日、終戦の日と続いた。例年と大きく違う点は、日本のマスコミはこぞって、終戦の日の半年ほど前から大戦の特集を組み、振り返ったことだ。  元兵士の証言は生々しく、銃後の生活の厳しさを教えられ、平和の尊さを見つめ直すきっかけになったことがうれしい。特集は節目の年に限らず毎年、いや欲を言えば月に1度組んでもらえれば、「不戦の誓い」の意識は高まることだろう。  当初、高校野球は小規模だったが、大観衆が見守る甲子園に会場が移ってからは、「聖地」として球児たちの憧れの的となった。後に大リーガーとなった野茂も目指し、イチロー、松井、ダルビッシュら数多くの名選手が甲子園の土を踏んだ。球史に残る数々の名勝負が繰り広げられ、1世紀の歴史の重みを感じる。  今年は、本来なら高校野球は101回大会、二世週祭は81回目の開催だが、実際はそれぞれ97回と75回と数が合わない。第二次大戦の影響を受けたからだ。甲子園を目指した球児たちは、大会が中止となり悔しさをにじませたことだろう。一方、激戦の太平洋を隔てたこちら側、当地の日系社会は開戦により、敵性外国人として強制収容所に送られたり、国家に忠誠を誓い志願兵となるなど、祭りどころではなかった。  野球と祭りができるのは、平和であるからこそ。平和に関する記念日は、祈念日でもあることをあらためて教えられた。【永田 潤】

0 views0 comments

Recent Posts

See All

熱海のMOA美術館に感動

この4月、日本を旅行中に東京から新幹線で45分の静岡県熱海で温泉に浸かり、翌日、山の上の美術館で北斎・広重展を開催中と聞き、これはぜひと訪れてこの美術館の素晴らしさに驚き魅せられた。その名はMOA美術館(以下モア)。日本でも欧米でもたくさんの美術館を見たがこれは...

アメリカ人の英国好き

ヘンリー王子とメーガン・マークルさんの結婚式が華やかに執り行われた。米メディアも大々的に報道した。  花嫁がアメリカ人であるということもあってのことだが、それにしてもアメリカ人の英王室に対する関心は異常としか言いようがない。 ...

野鳥の声に…

目覚める前のおぼろな意識の中で、鳥の鳴き声が聞こえた。聞き覚えがない心地よい響きに、そのまま床の中でしばらく聴き入っていた。そうだ…Audubonの掛け時計を鳴かせよう…  Audubonは、全米オーデュボン協会(1905年設立)のことで、鳥類の保護を主目的とする自然保護...

Comments


bottom of page