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Writer's pictureRafu Shimpo

建築家の高瀬隼彦さん死去:日系社会に貢献、武道館の設計など携わる

昨年12月27日に死去した建築家の高瀬隼彦さん。左右背後には自身が設計した鹿島ビルと旧ホテルニューオータニ(現ダブルツリー・バイ・ヒルトン)がある

 ロサンゼルスの日系社会の建造物などを数多くデザインしてきた建築家の高瀬隼彦さんが昨年12月27日、入居していた敬愛ロサンゼルス・ヘルスケア・センターで死去した。88歳だった。葬儀は12日、福井葬儀社チャペルにて妻・純子さんをはじめ近親者で行われた。

 高瀬さんは1930年4月22日、東京都で生まれた。筑波大学付属高校を卒業後、東京大学工学部建築学科に入学。53年に同大学を卒業し、56年にはハーバード大学デザイン学部建築修士課程を卒業した。  その後、建設大手の鹿島建設に入社し、60年には設計本部参与に就任。64年に渡米し、カジマインターナショナル取締役に就任した。  同年、純子さんと結婚。二人の間には長女マヤさんがいる。  77年にはタカセアソシエーツを設立し、88年に日建アメリカの社長に就任。94年にタカセアソシエーツに復帰し、代表となった。  高瀬さんは日系社会の建造物の設計を数多く手掛けたことで知られる。日系社会には今も高瀬さんの作品が数多く残されており、代表的な作品として小東京にある鹿島ビルをはじめ、旧ホテルニューオータニ(現ダブルツリー・バイ・ヒルトン)、東本願寺ロサンゼルス別院、ミヤコホテル、リトル東京プラザ、小東京ビレッジの2階建ビルのほか、グレンデール市にある日本友好庭園内の茶室「松聲庵」などがある。  設計には常に「日本らしさ」を意識。鹿島ビルでは柱と梁をはっきりと見せ日本建築の伝統を表現。松聲庵の設計では当地の米国人にも日本文化を理解してもらえるよう、日本的なデザインを忠実に再現するよう心掛けた。

Hayahiko Takase (third from right) joined in the groundbreaking ceremony for the Terasaki Budokan in 2017. (MARIO G. REYES/Rafu Shimpo)

自身「最後の作品」として携わったのが小東京の武道館。デザインコンサルタントとして設計に参画した。  南加日系商工会議所をはじめ、海外有権者ネットワーク、南加東大会、童謡ロサンゼルス、LA着物クラブ、LA東京会、オーロラ基金など日系諸団体の役員を歴任。日系コミュニティーの活動にも尽力した。  建築家としての主な受賞歴は64年に日本建築学会作品賞(銀座リッカー会館)、75年に米国建築家協会(AIA)作品賞(トーレンス・セイコー・インスツルメント本社ビル)、2006年のベルカ賞(旧銀座リッカー会館)など。  2000年秋には勲五等双光旭日章、05年には二世週祭でパイオニア賞を受賞している。  オペラをはじめクラシック音楽をこよなく愛し、世紀の歌姫として知られるオペラ歌手マリア・カラスが特にお気に入りだった。  長女のマヤさんは「父は物静かな人でしたがコミュニティーのリーダーであり、また良き夫、良き父でもありました」とコメントしている。  高瀬さん亡き後も、彼の作品はこれからも小東京など町の発展を見守りつづけることだろう。

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