星港(シンガポール)の街かどで ⑩ :在シンガポール日本大使館参事官 伊 藤 実 佐 子
ホテルやショッピング施設、展示会場などさまざまな設備を兼ね備え、シンガポールのランドマークともなっている高級ホテル、マリーナ・ベイ・サンズ
高校生の頃から神保町の洋書店を覗くのが好きだったので、タトル出版、つまりチャールズ・E・タトルの名前には親しみをもっていた。 タトルは第2次大戦後の占領期の東京で、マッカーサー元帥直属の部隊に所属していた。バーモント州の実家は五世代にわたり存続している歴史ある出版社で、ハーバード大学卒業のタトルの東京での任務は、国会図書館の復興だったという。
チャールズ・E・タトルの写真
ほどなく日本の出版業の復興に携わることになった彼が、許可を得て占領期に興した会社が、タトル出版の元である。当初は占領軍の出版サポート業務で、その後アメリカのペーパーバックを日本に輸入し、アメリカ文化の日本への紹介に資していたのが、占領終了後の1952年には、日本文化や日本語教育の本を英語で出版するようになったのである。
日本についての情報を海外へ発信していくには、英語による出版が重要であるにも関わらず、日本でそれを担う人たちの不在は長く続いている。ところがシンガポールに来て、私がその懐かしい名前タトルを聞くまで、時間はかからなかった。ある集まりで出会ったエリックとクリスチーナの夫妻が、「君は日本人ならタトルの名前を知っているか」と聞いてきたのである。
エリックはチャールズ・E・タトルの妹の息子、つまり甥っ子だというのだ。エリックは父親がインドネシア人のハーフで、姓名のウィーはインドネシア語で「黄色」という意味という。
タトル出版CEOのエリック・ウィー氏(左奥)と隣がクリスチーナ夫人、最近タトル出版で日本の新版画を使ったぬりえの本を出版した作者アンドリュー・ヴァイガーさん(右奥)と伊藤実佐子さん
高校からアメリカで過ごし、大学はカリフォルニア大学バークレーに進み東南アジア研究を専攻。血がそうさせたのか大学時代から出版に携わり、88年にペリプラス出版という会社をバークレーで立ち上げ、現在はシンガポールに拠点を移している。叔父のチャールズが「洋の東西を近づける」をモットーに、『古事記』『源氏物語』に始まり日本文化を中心に出版してきたように、エリックもアジアの生活文化を中心とした英文出版を専門としている。 93年にチャールズ・E・タトルが他界した後には、しばらく他社に合併されていたものの、97年にエリックはタトル出版を買収してペリプラス・グループに合併し、これによって米国、シンガポール、東京、マレーシア、インドネシアに子会社を保有するアジアで最大の英語出版・販売会社となったのである。 日本には暮らしたことのないエリック夫妻だが、今では同社では日本文化に関する出版数が最大だという。とうとう北海道ニセコに別荘を購入するほどの日本好きのこの夫妻に、さらに多くの良質な日本関連本を出し続けてもらいたいものである。
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