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Writer's pictureRafu Shimpo

村方学園長就任、100人が祝福:困難な1年乗り越え、気持ち新たに

福岡健二・協同システム理事(右)の音頭に合わせ乾杯する小林政子理事長(左)、村方清新学園長(右隣)ら祝賀会参加者

 日本語学園協同システムの新学園長就任披露会がこのほど、日米文化会館のガーデンルームで催され、来賓や招待客など約100人が祝福に訪れた。7月に第11代学園長に就任した村方氏は継承日本語を第一に取り組む協同システムの現在、そして今後の展望を語った。  日本語学校として107年の歴史を持つ同学園。協同システムという名の連合になってから70年がたつ。週に1度、土曜日の午前中を授業日とし、日本語と日本文化を教えている。  昨年の夏、前学園長の田中雅美氏が病に倒れた。それから数カ月後、いったん病状は回復したものの、今年の春、66歳という若さで帰らぬ人となった。  小林政子理事長は「前学園長が体調を崩されたとき、村方学園長にお世話になった」と当時のことを振り返った。「子どもの数が少なくなり、学園の運営はとても難しい。不動産資産に詳しく、教育面でも経験のある村方学園長の就任を学園一同心強く思っている」  生徒数が伸び悩み、日本語学校はどこも経営が不安定な昨今。幸いなことに、同学園には前の世代が残してくれた不動産資産がある。村方氏は「これまでは不動産資産がリターンを上げていなかった」とし、これを用いて「経営をいかに安定させるか」を当面の課題と考えているとの趣旨を語った。  教育面では「日本語を含め、外国語を週に4時間で簡単にマスターする方法はない」と言い切る。「家庭で日本語を使うことの重要性」をあらためて強調し、保護者の理解と協力を仰ぐことに今一層努めるとした。  「日本語を習得した先には『ご褒美』がある。社会に出た後に日本語が役立つ、武器となることを、卒業生らを招いて話してもらう。子どもたちに伝えていく機会を作りたい」と抱負を語った。  また、日本語ができれば「日本国内の大学を進学先として選択できる」とし、米国と比べ公立私立を問わず日本の大学は学費が安いことを挙げ、「授業が英語で行われるところもある。4年間日本で学ぶのはどうか」と述べた。  村方氏は就任あいさつを「カリキュラムを模索し、教師や理事らと議論しながら、実績と評判を維持していきたい」と結んだ。  来賓あいさつで南加日系商工会議所会頭の山﨑一郎氏は、協同システムの誇る「スピーチ大会」について「生徒それぞれの選んだテーマの切り口がすばらしい」と称賛した。  また新1世、新2世の役割を「日本語の基礎作り、日米の懸け橋となる人材育成」と述べ、「米国に参入した日本企業は定着した。これからは駐在が減り現地での人材採用が増える。バイリンガルが必要になってくる時代」との見方を示した。山﨑氏は同学園の継承日本語の取り組みにエールを送り祝辞とした。  村方氏の友人代表でユニオンバンク小東京支店長の阿部ポール氏は「村方さんからは日本人とのビジネスを教わった。毎週のようにゴルフを一緒にしたおかげでわたしの日本語は上達した。でもゴルフは…(うまくならなかった)」と会場を笑わせた。  田中前学園長の療養中から約半年間、学園長代行として学園をけん引した大角孝子氏は、ユーモアと知性を織り交ぜたスピーチで後半の余興を盛り上げた。  祝賀の演奏は、増田仁子氏、鹿子畑翔士氏、大和やそよ氏、堅田喜己扇氏による琴、尺八「春の海」と大和楽「松」。大角氏のていねいな解説が参加者の曲への理解を深めた。  同システム幹部役員のボンドラス雅子氏は「昨年1年間はとても大変な年だった」と同学園が困難な時期にあったことを語った。新学園長が村方氏に決まったことを歓迎し、「ぜひ次の世代に日本語学園協同システムを引き継いでほしい」と結んだ。【麻生美重、写真も】

村方新学園長(左から4人目)を囲んで記念撮影する日本語学園協同システムの生徒、スタッフと理事会メンバー


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