松下村塾の台所
テレビの日本語放送はあまり見るほうではない。それでも今「花燃ゆ」という杉文の生涯を描いたドラマを時々見る。文は吉田松陰の妹である。松陰が開いた私塾、松下村塾から後に、明治維新を引き起こす幕末の志士が輩出されたことは、よく知られている。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山田顕義。 舞台の山口県萩市は山陰である。新幹線を日本海側の小郡で下り、それからバスで中国山脈を越える。米国から帰省する私には、今なお、遠くて、不便な田舎町である。しかしこの不便さが、バスに揺られ山越えしているうちに、じわり、じわりと故郷に帰ってきた感慨を味わわせる。 萩は阿武川の三角州の中に出来た城下町。碁盤の目の町は整然と整い、川が海と出合う突端の指月山に毛利公の城跡がある。山紫水明の美しい古里である。 小学校5、6年では、週1回の道徳の時間に「松陰読本」を読まされた。松下村塾の今は神社になり、観光名所になっているが、半世紀前の私の子供時代は訪れる人もなく、ひっそりとしていた。そこに大きなイチョウの木が何本もあり、秋になると「銀杏を拾って来て」と母に使いに出された。用事が済んだら、仲間と「かくれんぼ」をして遊んだ。建物や木の陰が遊ぶにはちょうどよかった。 鬼から隠れようと、塾の台所に入ってしまったことがあった。床の間のある小さな講義室はいつも明るいのに、大きな土間の台所はとても暗かった。その明と暗の落差に身震いし、それが記億の底にいつまでも残った。子供心にも「この暗い台所で誰かが松陰先生と塾生のご飯を毎日作ったのだ」と思った。 30歳という若さで安政の大獄に連り処刑された松陰。日本は世界に門戸を開け、という彼の遺志を継いだ塾生を影で支えているうちに、文は当時の女性としては、まれな教養と人格を習得していったに違いない。 暗い台所で長い時間を過ごした女性が、数奇で立派な人生を歩むことになった。時空を超えて共通する女性のしなやかな強さにひきつけられる。【萩野千鶴子】
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