火中の栗を拾う
リオ五輪の最後のフラッグ・ハンドオーバー(東京五輪引継ぎ式)のパフォーマンスの映像に皆さんもあ然とされたと思います。 その「奇跡の8分間」の仕掛人の一人、クリエイティブ・ディレクターは「火中の栗を拾うつもりで引き受けた」と言っていました。去年12月、東京五輪エンブレムや新国立競技場のデザインの白紙撤回と、五輪大揺れの時期でしたから。 「火中の栗を拾うつもりで」引き受けた人がもう一人います。民進党幹事長に就任した前総理大臣です。党両院議員総会の席で大見えを切りました。 「火中の栗を拾う」とは、本来、〈唆(そそのか)されて他人のために危険を冒して、馬鹿な目に遭うこと〉のたとえ(広辞林)。 17世紀のフランスの詩人、ラ・フォンテーヌの寓話――サルに煽(おだ)てられた猫が囲炉裏の中で焼けている栗を拾ったが、その栗を食べたのはサル。猫は大やけどをしてしまう――からきた諺(ことわざ)です。 「広辞林」に忠実に従えば、お二人の言う「火中の栗を拾う」という表現が的確かどうか。ディレクターのほうはまあ、いいとして、幹事長のほうは「馬鹿な目に遭った」のでしょうか。 まさか、他人(蓮舫・民進党党首)のためだけに危険を冒して、「蓮の花を支える蓮根になった」(ご本人の言葉)だけではないでしょう。政治家にとって役職は命。 百歩譲って、これから〈馬鹿な目に遭う〉かどうか、それはご本人の力量次第です。 ついでにもう一つ。「自分の政治人生のオトシマエをつけるつもりで(幹事長を)引き受けた」とも言っています。かつて総理の時、解散に打って出て、惨敗し、与党の座から転げ落ちた「借り」を返す、という決意なのでしょう。が、「オトシマエ」はいただけません。これは極道用語。一国の宰相だった人が公式の場で使う日本語ではありません。 異郷に住む「日本語族」には、同胞の使う日本語が時々気になります。 【高濱 賛】
Recent Posts
See Allこの4月、日本を旅行中に東京から新幹線で45分の静岡県熱海で温泉に浸かり、翌日、山の上の美術館で北斎・広重展を開催中と聞き、これはぜひと訪れてこの美術館の素晴らしさに驚き魅せられた。その名はMOA美術館(以下モア)。日本でも欧米でもたくさんの美術館を見たがこれは...
ヘンリー王子とメーガン・マークルさんの結婚式が華やかに執り行われた。米メディアも大々的に報道した。 花嫁がアメリカ人であるということもあってのことだが、それにしてもアメリカ人の英王室に対する関心は異常としか言いようがない。 ...
目覚める前のおぼろな意識の中で、鳥の鳴き声が聞こえた。聞き覚えがない心地よい響きに、そのまま床の中でしばらく聴き入っていた。そうだ…Audubonの掛け時計を鳴かせよう… Audubonは、全米オーデュボン協会(1905年設立)のことで、鳥類の保護を主目的とする自然保護...
Comments