被災と自然と希望
今年で東日本大震災から6年が経つ。被災地を思う追悼式があちこちで開催された。来月は、熊本地震から1年。エクアドル地震からも。ネパール地震からは2年などなど。世界中のあちこちが被災している。 自然の驚異というより、脅威。人間が、自然を科学の力に屈服させようとしてきたことに反撃しているように思える。その自然から、熊本地震の被災地の人の声として、癒しをもらったという記事を読んだ。 倒壊した家を離れ、避難所での生活の中で、鳥の声や芽吹く草木に、こんな声で鳥が鳴いていたのか、新しい芽が出てきている。いつもなら仕事仕事で朝も外の自然に目をやることがなく、気付かなかった鳥のさえずり、倒壊した建物の陰からの芽吹きに、自然の営みを見せられ、気持ちが和んだという被災者の声を1年前の新聞で読んだ。 自然の力に被災して、自然の営みに気付かされる。夜には、月や星が漆黒の空に輝き、朝には太陽が昇り、鳥がさえずる。忘れていた当たり前のことを、何百回、千回を超える余震の中で、避難所・車中生活で感じたという人に、生命の力強さを思わずにいられなかった。!(感嘆符)で心がいっぱいになった。 確か、アウシュビッツから生還した人も、空腹と明日の命の不安ばかり思うのではなく、自然に目を向ける、音楽を口ずさんでいたような人の方が生き延びることができたという報告を読んだ記憶がある。目の前のがれきに、悲嘆にくれるだけでは希望がない。希望がなければ生きられない。気持ちの持ちようなどと、簡単に言えることではないが、外に目を向けさせる力は希望を引き寄せるのに大事だろうと思う。 人間の知恵は奥が深く計り知れない。気持ちも思っているより強いように見える。もちろん全ての人に当てはまるとはいえないだろうが。 今どきの機器を頼ってばかりでは、電源がなくて連絡が取れなかった、近くに携帯を置いてなくて失くした、壊したなど、不便を感じたようだ。あるものを駆使するという知恵は、最新機器に勝る。失った命、失った家や財産を取り戻すことはできない。残された命は、つないでいくことができる、それを希望に。【大石克子】
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