設立36周年祝い写真展:力作50点、来場者を魅了
US101フォトクラブ(中田卓会長)の設立36周年を祝う記念写真展が7日、日米文化会館のドイザキ・ギャラリーで始まり、メンバー12人の力作約50点が15日まで披露される。各自が個性を生かし撮影した作品は、思い思いの表現方法が感じられ、来場者を魅了している。
同クラブは、中田卓、樋口馨、井本晋二の3氏が発起人となり、1979年に小東京で設立された。その日が10月1日だったことから「101」と名付けた。当初は、小東京の景観を撮影し、作品を発表するとともに、歴史として保存することに努めた。その後は、地元のプロとハイアマチュアが入会し活発に活動。92年から二世週祭の女王とコートのポートレート撮影会を始め、同祭の公式イベントを撮った。毎年の二世週祭で催す写真展は、多くの来場者を呼び、好評を博している。
メンバーが世界各所で撮影した作品を鑑賞する来場者
作品作りに情熱を傾けるメンバーは被写体を求め、国内外を旅する。今回の展示は、世界各地の風景写真が目を引く。地元では1963年の小東京の町並み、カタリナ島沖の水中の小さな魚、日本は季節を感じさせる福井・東尋坊、長崎・雲仙、北海道・上川町層雲峽など。南米はアルゼンチンに、ブラジルのサンバカーニバル、アマゾンで暮らす原住民、欧州ではデンマーク、ノルウェー、フィンランドの景勝地を紹介。それぞれで、山、海、夕焼け、花に草木、紅葉、新雪などを巧みに描写している。 モニュメント・バレーの絶景を、4×8フィートのパノラマで迫力を表現したマーク鶴田さんは、画像の質にこだわったという。単に引き伸ばすのではなく、8枚を結合しコンピュータ処理して、侵食が作り出した岩山を鮮明なプリントの1枚の写真に仕上げた。もちろん、つなぎ目は見られない。 永松悟さんが、デジタル撮影をやめたのは「無駄にシャッターを切ってしまい、撮る楽しみが半減してしまう」と、気づいたから。フィルム撮影という原点に回帰し「一枚一枚大切に撮るようになり、カメラを始めた頃を思い出しながら撮るのがおもしろい」と話す。フィルム用のボディーやレンズなどの中古機材を買い揃えるのも楽しんでいるという。展示では、ハリウッドのチャイニーズシアター付近で写した4点を紹介。白黒写真にこだわるのは「色で驚かせたくない。何を撮っているのかを伝えるには、白黒が分かりやすい」と説いた。 来場者で小東京タワーズに住む坂本忠夫さんは、小東京の古い町並みをじっくりと眺め「昔を思い出し、懐かしかった」と語った。日本の風景写真に見入り「(故郷の)佐賀に帰りたくなった」というが、健康を害し透析を週2回受けなければならないため「一生帰れないと思うので、ここに来て里帰りしたような気分になれた」と喜んだ。 入山正夫さんは、数年前に解散した写真同好会「ロサンゼルス日系写真連盟」で会長を務めた。この日はカメラを片手に作品を鑑賞し「大きなサイズの写真ばかりなので、圧倒された。いい作品ばかりだった」と賞賛。海の中の魚やアマゾンの原住民、諸外国の風景を気に入り「見たことがない景色が見れてよかった」と述べた。入山さんは自然・風景写真を得意とするが、腰を悪くしたため「今は撮っていない。風景を撮るには、歩かないといけないので、なかなか撮れない」という。だが、この日鑑賞した作品に刺激を受けた様子の94歳は「また撮って、作品を作る気持ちになった」と、創作意欲を甦らせた。 中田会長は、36年間の活動を振り返り、コミュニティーの支援に謝意を表した。展示については「いい評価をたくさんもらい、とてもうれしい。励みになる」と素直に喜ぶ。今後は「コミュニティーのイベントを積極的に撮影し、後世に記録として伝える活動に力を注ぎたい」と、写真撮影による地域貢献を誓った。【永田潤、写真も】
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