選ぶことのむずかしさ
人は日々の生活の中で、さまざまな選択をしながら生きている。生まれる時こそ親を選ぶことはできないが、成長するにつれて友を選び、さらに学校、仕事、住居、伴侶を選び、あるいは一人でいることを選択したりする。 ほかにも、車のメカニックや医者を選んだり、ショッピングに行けば服や靴を選ぶのに手間取ったり、レストランでメニューを選ぶのさえ迷いながらも選択している。 選ぶことの難しさと常に向き合っているといってもいいほどだ。選んだ結果が芳しくない場合だって多々ある。選び直しがきくときはいいが、きかない場合は面倒だ。買い物の返品はさほど問題ないとしても、選び間違えたからといって結婚相手の「返品」ともなると、すんなりとはいかない。医者選びの失敗は、命にかかわってくるから大変だ。 さて、いよいよ3週間後に私たちは、次の大統領を選ばなくてはならない。特に今回は、二大政党の候補者はいずれも大統領としての資質に欠けていると感じている有権者が半数以上もいるというのだから、困った選択を強いられている状況といえる。 私用のメールアドレスから国家機密に関する情報を発信したり、長い国境線に高い塀を張り巡らすといった実現不可能な思いつきを平然と主張したりする。また、利権まみれの疑いがかかる大口献金、健康不安説、法の抜け穴を利用した納税回避、セクハラ疑惑などスキャンダルも噴出する。テレビ討論会でも政策論を戦わすというより、相手を非難する中傷合戦に時間が費やされて、まるで子供の喧嘩の様相。 首都ワシントン界隈では、「国境に塀を築くのは、メキシコからの不法入国者を阻止するためではなく、トランプ候補が大統領に選ばれるのを嫌うアメリカ人が逃げ出すのを防ぐためだ」というジョークがささやかれているし、クリントン候補びいきのニュース専門局CNNは「クリントン・ニュース・ネットワーク」の頭文字だと揶揄(やゆ)されている始末だ。 そうした2人を候補者に選んだのも有権者。どちらにも投票したくないとしても、残りの3週間はじっくり選択のポイントを定め、その困難さを再認識する時間ともいえる。【石原 嵩】
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