2世兵が撮った戦争の記録:「彼らが英雄になる前」
カメラを忍ばせ戦地で撮った写真について語るイトウさん(左)
第2次世界大戦中、欧州の激戦地で戦った日系人部隊「第442連隊」の退役軍人ススム・イトウさん(96)が戦地で撮り続けた写真が現在、全米日系人博物館(JANM)で展示されている。「Before They were Heroes (彼らが英雄になる前)」と題した写真展には、2世兵だったイトウさんが見た戦争の記録が収められている。【吉田純子、写真も】
1944年8月12日、フランス戦線から母に送ったイトウさんのポートレート。写真右下には直筆で「お母さんへ。愛する息子より」と書かれている
イトウさんは1919年、広島からの移民の両親のもとカリフォルニア州ストックトンで生まれた。当時の多くの日系人家族と同様、両親は小作人としてビーツやアスパラガス、トウモロコシなどの畑を耕し生活していた。
当時、日系人は差別を受けており、白人と一緒に遊ぶこともできなかったという。「日系人、アジア人というだけで、就職先はありませんでした」。長男だったイトウさんは自動車整備工として働き家族を支えた。
40年、21歳の時に徴兵され、日系人部隊の第442連隊所属の第522野戦砲兵大隊に配属された。戦争が始まると、日系人はスパイと疑われ、多くの人々が強制収容所に送られた。イトウさんの両親と2人の妹もそうだった。
イトウさんには戦時中、肌身離さず持ち歩いていた三種の神器がある。妹サチさんから預かった小さな聖書、母と収容所の女性たちが縫ってくれたお守りの「千人針」、そして手のひらにおさまる小さなカメラだ。イトウさんはこのカメラで戦地の様子を撮影した。カメラの所持は許されていなかったが、イトウさんはカメラを忍ばせシャッターを切り続けた。
45年4月、イトウさんが所属していた部隊は、ユダヤ人や戦犯などおよそ20万人が収容され、うち4万人が殺されたダッハウ強制収容所の解放を担っていた。ダッハウでは悲惨な戦争の真実を目撃する。その一方で救出後、収容されていたリトアニア系ユダヤ人の青年と仲良くなり、戦地で築いた友情は生涯にわたって続いた。
イトウさんの写真には、日系人部隊の戦地での食事風景、兵士たちが談笑する姿、たばこを吹かし一服する戦友、犬とたわむれる自身の写真など、2世兵たちが仲間と束の間くつろぐ様子が収められている。
幾多の困難を乗り越えてきたイトウさん。戦後はハーバード大学の細胞生物学の教授となった。「時として結果がついてこなくても日々幸せを感じ、人生に満足することが大切」とメッセージを送る
欧州戦線で戦った第442連隊など日系人の退役軍人は、2011年11月、米国民最高の「議会勲章」を授与された。人種差別と戦いながらも戦地で勇敢に戦い、国家に献身を示したとして2世兵たちは英雄とたたえられた。イトウさんが収めた戦友たちの姿は、どれも彼らが英雄になる前の姿だ。 「日系人の歴史の一部として、写真をみなさんに見て頂ける機会ができて光栄です」。差別と戦い、多くの試練を乗り越えてきたイトウさんだが、戦後はハーバード大学の細胞生物学の教授となり、研究にいそしんだ。イトウさんが戦地で撮った写真は長く公の目に触れることはなかったが、戦後70周年の節目を迎え、この度JANMで公開された。 写真展を見にきていた第442連隊の退役軍人ヨシオ・ナカムラさんは、「イトウさんはたくましく今も元気でユーモアのセンスに溢れている。写真には彼の人間性がよく現れている」と話し、写真に見入っていた。 写真展は9月6日まで開催されている。
展示されている写真に見入る来場者。写真の一部は手に取ってみることも出来る
42年にオクラホマで訓練中の時のイトウさんの写真も飾られている
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