8月の記憶
今年も8月を迎えた。私のような70歳半ばを過ぎたシニアにとって、忘れられない夏がある。それは1945年(昭和20年)夏だ。東京下町で生まれ育っていた私は、その年の東京大空襲で家も学校も周囲のすべてを焼き尽くされ、両親の故郷である滋賀県へ母に連れられて身を寄せていた。東京下町しか知らなかった私にとっての疎開暮らしはすべてが新鮮で珍しく、自然があふれたところだったが、一見、平和な田舎での疎開暮らしも、戦争とは無縁ではなく、学校も当然ながら戦時体制だった。学年ごとに軍隊式の名がつけられ、1年生、2年生ではなく、〇〇隊と呼ばれ、2年生は『みたて隊』で統一されていた。これは防人の歌にある『醜(しこ)の御楯(みたて)』から採用されたものだった。疎開先では空襲の心配はなかったものの、子供心にも戦争の影は日常生活にひしひしと迫ってきていたのを覚えている。夏休みのはじめのころ、学級ごとに裏山の松林まで行進し、ガソリン不足対応の『松やに』採りに従事したりした。 私たちの生活が一変したのが8月15日、朝から暑い日差しの一日だった。友人と川遊びに出かけようとしていた私は母親から、今日は大切な放送があるから、早く帰るようにいわれたのに、帰宅がおくれ、ひどく叱られたのが終戦の日の思い出だ。日本が負けたこと自体、まだ十分理解できなかった子供の私だったが、それから先がたいへんで、夏休みが終わって学校が始まると、教わることがこれまでと正反対になってしまったのだ。習字の時間でもないのに墨をすらされ、先生の指示通り教科書を黒く塗りつぶし、中には教科書をそっくり取り上げられたりした。流行だった軍歌を歌うことも禁じられた。子供心にも『自分たちは日本という国家に騙されていたんだ。国を信じてはいけないんだ』と強く思った。 敗戦という歴史の大転換は、私たちのその後の人生に多大な影響を及ぼした。あれから71年、私たちは、過去の歴史は直視し、事実は事実として後生に正しく伝えると同時に、未来をどのように切り開くかを歴史から学ぶ必要がありそうだ。【河合将介】
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