LAの3派50人、迫力の舞台:大和楽3代家元と共演
松豊会の26人がそろい、お囃子とともに「娘みこし」を演奏
「ふじのかい」(大和杏笙代表)と「大和楽USA」(大和やそよ代表)はこのほど、トーレンスのケン・ミラー・レクリエーションセンターで「大和楽inLA 三味線と囃子『大和楽と囃子の響き』日米親睦の勉強会を共催した。民謡の松豊会と琴の粟屋陽子箏曲学院の後援によるこの催しには、日本から3代目家元の大和櫻笙、歌舞伎囃子の4代目堅田新十郎も参加し華をそえた。
大和楽とは1933年(昭和8年)に実業家の大倉喜七郎男爵により創設された邦楽のジャンルのひとつ。それまでの邦楽に洋楽の要素を取り入れ、主に女性が唄い演奏することを意識して作られている。明治以来の文壇や歌壇を代表する作家の詩に三味線をのせ、ハミングや輪唱を取り入れるなどして女性が歌いやすい作りになっている。一曲が短く、踊りにもちょうど良いとされる。
大和久満作氏作詞・作曲「四季の花」を演奏する三味線方と唄方
大和楽が当地に渡るきっかけとなったのは、2006年の春ごろ、松豊会の佐藤松豊が2代目家元の大和久満の稽古場を訪問。大和楽のメロディーに感動し、「ぜひアメリカで大和楽を広めたい」との思いに至ったことによる。LAに戻った松豊は坂東三津拡、若柳久三、藤間勘須磨、西崎緑広舞などの舞踏家に呼びかけ「大和楽USA」を発起した。その後08年には2代目家元を招き、LAで初となる演奏会をトーレンスのアームストロングシアターで開く。以来当地の大和楽は大和やそよ代表により継続されてきた。
大和楽がLAに紹介されて10周年の記念演奏会は実現せずに流れていたが、12年に三代目を襲名した久満の実娘、大和櫻笙が訪米し稽古をすることが決まると、歌舞伎囃子の若手ホープ堅田も演奏の依頼を快諾。昨年秋に名取となった杏笙の「ふじのかい」と大和松豊の「松豊会」、やそよの「大和楽USA」これら三派総勢50人とのコンサートが実現した。
舞台は大和久満作詞・作曲の「新さわぎ」で幕を開け、干支にちなんだ「亥年の春」が続いた。大和楽の代表作「四季の花」は三味線方14人、唄方10人、囃子2人の迫力ある演奏。松豊会の26人がそろった「娘みこし」は囃子が賑やかな祭りの曲。会場にはパワフルな空気がみなぎった。「藤むらさき」では杏笙が唄を披露。三味線は櫻笙家元とやそよ代表、箏は粟屋、蔭囃子を堅田が務めた。
「藤むらさき」で唄を披露する大和杏笙(写真後列左)。三味線は大和櫻笙家元(同中)と大和やそよ代表(同右)、箏は粟屋陽子(前列)
この日のメーンプログラム「三味線と鼓の響き」では家元の三味線と堅田の小鼓が即興演奏。それぞれの技を余すところなく観客に伝えた。
司会を務めた囃子方、元米国堅田会の堅田喜久佐(ミコ・へンソンさん)は「お囃子がなかったら『気の抜けたソーダ』のよう」と例え、囃子のもたらす効果を語った。
家元は「アメリカの地で草の根運動のようにコツコツと広がってきた大和楽がこの日を迎えられたのは、みなさんの努力の賜物です」とあいさつし「(大和楽を)好きになってもらいたい。『習いたいな』と思ったらぜひ入門してください」と観客へ呼びかけた。
家元は指揮者のいない大和櫻笙演奏の 「背中で全員の気配を感じ呼吸を合わせる」難しさを説明。この「日本人の感覚」を覚えることこそ上達の鍵といえそうだ。
勉強会については「前回は日本から連れて来た人数が多かった。前と同じでは意味がないので、今回はこちらのメンバーにがんばってもらうことにした。全体で数回合わせただけだが、とても良くできたと思う」と評した。
やそよ代表は演奏会のあと安堵の表情を浮かべ「これからもLAで大和楽を続けていく努力を惜しまない」と抱負を語った。【麻生美重、写真も】
記念撮影をする左からMCのミコ・へンソン、大和杏笙、大和櫻笙、大和やそよ、佐藤松豊、粟屋陽子
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